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2枚の背もたれが自在に動いて、背中を包み込むようにホールド。 張地:ポリエステル 脚部:ポリプロピレン フレーム:スチール 座面:モールドウレタン サイズ/W67.4×D67.4×H109.5〜117.8(座高40.8〜49.1)cm 座面:W50×D51cm 厚み:背面4cm 座面10.5cm 別発送商品●納期目安:約2営業日後の出荷●組立式●背もたれ上下左右調節機能付き ガス圧昇降式 ヘッドレスト上下調節機能付き 背·座連動ロッキング機能付き アームレスト上下調節機能付き ウレタン製キャスター:直径6cm 重量/19kg 組立式チェアは、ボルトやネジの緩みを定期的に点検して締めなおし、緩んだまま使用しないでください。 検索ワード: 店舗什器

商品の仕様
2枚の背もたれが自在に動いて、背中を包み込むようにホールド。
張地:ポリエステル 脚部:ポリプロピレン フレーム:スチール 座面:モールドウレタン
サイズ/W67.4×D67.4×H109.5〜117.8(座高40.8〜49.1)cm 座面:W50×D51cm 厚み:背面4cm 座面10.5cm
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重量/19kg
組立式チェアは、ボルトやネジの緩みを定期的に点検して締めなおし、緩んだまま使用しないでください。

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わいがや倶楽部

〜しゃれた知識って、最高のファッションでしょ。〜
言葉の謂われ


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お母さん、あした晴れるかなあ。177番に電話してよ。

いまならスマホですぐに調べられるが、天気が心配なとき、以前なら大事な日の前日あたりにわざわざ177番に電話をして、 予報を聞いていたものだ。
運動会や遠足の前日あたりは、とくに電話が込み合ったという。
でも、なぜ177番だったのだろう。
これが、じつにわかりやすい。もっともらしい理由があるのかと思ったら、「いい天気になれ、なれ!」 の思いを、 そのまま順に数字になぞらえたものなんだそうな。
それよりもずっと以前、177番はある著名な個人の家の電話番号だったらしい。それがだれだったか。
ヒントを差しあげよう。佐賀藩士であり、のちに政治家、教育者となって早稲田大学を創設した方と言えばおわかりか。
そう、あの大隈重信さんの自宅の番号だった。

63.
かわいい

あのおばあちゃん、かわいいね、なんて。ねえ、どこまでOKなの?

かわいい、という表現には、見る人それぞれの心のうちに湧いてくる、さまざまな感情がかくされている。
すこし以前なら、赤ちゃんの笑顔や子どものしぐさなどをかわいいとし、 さすがに年長者にかわいいとは言えなかったが、いまでは年齢を問わないし、服装や持ち物まで適用範囲はいっきに広がった。

そもそもの語源は、 「恥ずかしい」 という気持ちから始まっている。
やがて 「かわいそう」 へと意味が変化し、そこから 「いとおしい」 や 「愛らしい」 へと拡大し、 江戸時代に入って現在の意味で用いられるようになった。
いまでは海外でも、そのまま 「かわいい」 で通用するらしい。

もし将来、面と向かって若い人からかわいいと言われたら、どうしよう。
でも、心配いらないね。そんな、かわいいわけないもの。

62.
かっぱ巻き

よくぞ工夫してくださった。すし好きの、あなたは恩人です。

戦後すぐの何もない時代に、すし職人の安井弘さんという方が、どうにかして以前のようにおいしく食べられないかと、 すしネタをいろいろに工夫した。
白身魚はフナで代用し、赤身はマスで、アサリは煮て、玉子はおからを混ぜて、といった具合だったそうだ。

夏になって、こんどはキュウリをネタにできないかと考えた。握ってはみたもののつるつるして、どうにもシャリとなじまない。で、ノリで巻いてみた。
と、色はきれいだし、意外に合う。先代からは生のものを使うなと叱られたが、おかげで生野菜のすしが初めて世に現れた。

そのころ画家の清水崑が描く、かっぱの絵が人気になっていた。
沼などにひそんで、ときおり人間を襲う怖い存在がしだいに身近な存在となり、氏が描くかっぱの手にキュウリが握られていたことから、 かっぱの好物はきゅうりとの見方が広まっていった。
かっぱ巻きの、デビューである。

61.
デカ

刑事と書いて、なんでデカと読ませるのだろう。

推理ドラマを観ていると、ごくふつうに、刑事はデカである。
なかには小柄な人もいるから、べつに体のデカい人が多いせいでもなさそうだし、見当がつかない。

日本語には、話のタネをネタ、コレをレコというように、公言がはばかられるときに、互いにわかっていることでも順序を入れ替えて伝えることがある。これを倒語という。

ところで、明治時代の巡査は、袖が四角になった、いわゆる角袖を着ていた。一般に角袖巡査と言われ、略して、通称 「かくそで」 。

この 「かくそで」 をひっくり返して 「でそくか」 となり、それでも物足りずに、ついにはその頭とお尻をくっつけて 「でか デカ」 と呼びはじめたのだそうな。
成り立ちが複雑すぎて、こればっかりは推理できない。

60.
とうが立つ

年上の方に、そんな失礼な言い方はないでしょうが。

とう (薹) とは、植物の花軸と茎の部分を指す。
だから、とうが立つとは、時期が過ぎてとうが硬くなって食べられなくなった状態を意味する。そんなことから、盛りを過ぎて若さが失われていく年代の人を、 「あの人はもう、とうが立ってる」 なんて意地悪く言ったりする。

でも、それはとんでもない心得違い。
とうが立って、いいこともいっぱいある。当の植物だって、フキノトウなどは春に天ぷらにするとおいしいし、刻んでふきみそにするのもいい。

もとより人間はそれ以上で、年齢とともに落ち着きと分別をそなえて渋みを加え、とうが立ったなりの風情で人を魅了する人も多い。
すくなくとも、まだ地べたに根すら張っていない若い者が、年上の方に向かって言うことではありません。

59.
にべもない

別に笑ってくれなくてもいいけど、もうちょっと、なんかな~い?

「にべ」 は海の魚で、その浮袋に粘着力があり、天然の接着剤として重宝されてきた。
最高級の接着剤に鹿の皮を煮つめてつくるニカワがあるが、にべもまたニカワの別名を持つ。

そのつよい粘り気から、人と人の離れがたい親密な関係を、にべに例えてきた。だから、にべもないとか、にべなく断られたとかは親密さの逆であり、そっけない、愛想のない応対を表す。

海外では多くの国で、見知らぬ者どうしが気軽に朝のあいさつを交わす。気持ちのよい一日がはじまるのだが、日本では大都会になるほどそれがない。

どころか、肩が当たったのに振り返りもせず追い越して行ったり、ときには逆に睨みつけたり。
なるほど、にべもない。

58.
掘っ立て小屋

うちは掘っ立て小屋だから、なんて。今どきそんな家あるの?

ふつう、家の土台となる柱は、礎石を置いて、その上に立てる。
柱を安定させるとともに、雨水からくる木の根腐れを防いでくれるから、長く住める。

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いまでは、朽ち果てそうなボロ家であったり、簡素でみすぼらしい家のことを、「掘っ立て小屋」 と呼んでいる。 が、じっさいは家を建てるのに石を用いず、柱の根を直接地中に埋め込んだ家のことを言う。

タワーマンションばやりの世の中だけど、たくさんの家々を失った戦後のしばらくは、都会でも当座しのぎの粗末な家が当たり前だった。
そう昔のことではない。
もう忘れかけているけれど。

57.
あめんぼう

昆虫なのに、ずいぶんおいしそうな名前だね。

水の上をすーいすい。
長い脚をいっぱいに開いて、いつも気持ちよさそうに浮かんで泳いでいる、あのおなじみの水生昆虫である。
みずぐも、かわぐも、みずすまし、とも言う。

それにしても、なんで、こんなおいしそうな名前がついたのだろう。
なかなか実際に触れることもない虫だが、でも、手に取って鼻を近づけてみれば理由がわかる。

なんと、飴のような甘い匂いがするのである。
おまけに、細長い体は棒のようでもある。
そのせいか、辞書にあるいくつかの漢字表記のなかに、堂々と 「飴棒」 が入っている。

アメのような匂いのする棒、つまり、あめんぼう、となった。

56.
テレワーク

電話1本で仕事が片づくの? あんた、らくでいいねえ。

「テレ」 って名がつくと、電話とかメールとかの通信機器で仕事をこなすことかと思いがちだが、ほんとうは 「離れて」 の意味。

離れて話すのがテレフォンで、離れたところの出来事を観せてくれるのがテレビジョン、と言えばわかりやすいかもしれない。つまりテレワークとは、職場から離れた自宅などで仕事をすることである。

こんな話がある。
ある日偶然、道路脇に自分の会社の車が4台も並んで停まっていたところに、社長が通りかかった。
はて、おかしいな、さっき元気に営業に出かけたはずだがと、目の前のマージャン店をのぞいてみたら、いた、いた。4人の営業マンがリーチ!だの、ポン!だのと、どこにそんな活力があったかと思うほど熱心に卓を囲んでいたという話。
これは、テレサークルなんでしょうかね。

55.
かんぴょう

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そもそも、かんぴょう、という植物はない。正しくは夕顔の実で、これを瓢 (ふくべ) と呼ぶ。

その瓢の親ともいえる夕顔の花は、夕に咲きはじめて夜明けにしぼむ。なんともバブルのころの遊び人のような暮らしぶりであるが、あれだけ大きな実をとるためには、西瓜のように 地面を這わせて育てなければならない。
親が親なら子も子で、日がな畑の上でごろごろしている。

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しわい上司にすし屋に連れて行かれたはいいが、マナーを教えてやると、きゅうり巻きとかんぴょう巻きを食え食えと迫られた経験はおありだろうか。メニューにないと困るけど、 かんぴょうが不憫だねえ。

54.
ぼたもちとおはぎ

もうすぐ春ですねえ♪ となると、「こしあん」 かな。

暖かくなりはじめた春の彼岸、牡丹の咲くころに食べるのが、ぼたん餅。
そして、いくぶん涼しくなった秋の彼岸、萩の咲くころに食べるのが、おはぎ。
もち米主体のものを 「ぼた餅」 、うるち米主体のものを 「おはぎ」 とする説もある。

地方によって呼び方が変わるわけでもない。
どちらも基本はおなじものであって、季節の花にたとえて楽しみ方を変えようという、粋な心情から生まれたものである。

ただ、一つだけ心得ておいてほしいことがある。
秋のおはぎは、収穫したての小豆で皮が柔らかいので 「つぶあん」 が主流で、水のしづくが萩の葉の上で光るように皮が光る。
そして春のぼた餅だが、こちらはどうしても春まで保存した小豆になるので、柔らかく 「こしあん」 にしていただくがよろしいのだとか。
好き嫌いもあるし、さあ、どっち?

53.
すし

鮓、鮨、寿し、寿司・・・いったい、どれが正しい?

すしそのものは、すっぱい、から来ている。
ただこれを漢字で書くと、鮓、鮨、寿し、寿司、といろいろあって、寿司職人にもよくわからない。

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時代が下って江戸後期になると、喜寿や米寿や傘寿など長寿の祝いを賀す寿 (ことぶき、ことほぎ) の字をあてた 「寿し」 がブームのように広まる。
もう一つ、「寿司」 があるが、こちらはちょっと気位が高いというか、菓子司などの御所の出入り職人にあやかって、司 (つかさ) を当てた。
高級専門職として、権威づけをしたものと考えられる。

さてさて、昨今は海外でも大人気の回転ずしだが、日本のすしを食べたこともない外国の素人の方が握っているところが多い。
なんとなく 「素し」 の字をあてたくなるのは、失礼だろうか。

52.
刺し身と造り

気にもしないで注文していたけど、何が違うの?

刺し身は室町時代に始まって、そのころは切り身と呼ばれていた。
おもしろいのは、その切り身が何の魚かわかるように、名札の代わりにその魚のヒレを切り身に刺していたことだ。

やがて武家社会が到来すると、切り身のままでは、どうも腹切りを連想させて縁起がわるい。そこで、ちょうどヒレを刺していたことをヒントに「刺し身」と名を変えた。名は変えたが、ほかは変わらない。切り身を並べただけの刺し身だった。

さて、そろそろ料理人の登場である。
彼らはさまざまに創意工夫をし、隠し包丁を入れたり、流水で洗ったり、皮を炙ったり、器を小さな景色に見立てて野菜を細工して添えるようにもなった。
生きのいい魚に料理人の美意識と技術、つまり創造が加わったものが「お造り」となった。

51.
人一倍

一倍だったら、ふつうでしょ。なんで、二倍、三倍じゃないの?

「あの人は人一倍のがんばり屋さんで」などと言う。
でも、なんかおかしい。一倍だったら、人と同じことをしていればいいのかと思ってしまう。

でも、昔は「二倍」の意味で使っていた。
あの豊臣秀吉が毛利輝元に軍の動員を指示したとき、これを受けた輝元は家臣に「備前衆の一倍これなく候へば一大事」と伝えている。

もともと二倍の意味をもっていた一倍が文字どおり一倍に限定されたのは、明治八年のこと。政府から出された布告に「一倍ノ称呼ヲ止メ従前の諸規則等ニ一倍ト記載有之分ハ二倍ト改正候条」とあり、これによって一倍は一倍に限られるようになった。

ところが、単に「倍」と言えば、いまでも×2を意味する。
「そこまでやるんなら、倍はもらいませんと」と言われれば、やっぱりみんな顔色が変わるもの。

50.

スニーカーを履き、バーガーを食べ、エクササイズをしているけれど。

和風とか、和食とか、和服とか、和菓子とか、和紙とか。
日本の国やその固有の文化を、西洋の 「洋」 に対して 「和」 の一語で表すようになった。

でもそれは、どこから来たのだろう。

かの聖徳太子は日本人が重んじるべきことして、十七か条の憲法の第一条に 「和を以って貴しと為す」 とした。
和は、ここから始まっている。

平和、和平、和解、柔和、温和、人の和、家族の和など、和のつくことには良きことが多い。
ラグビーW杯で日本代表が体現してくれた 「1チーム」 は、まさに国を超えた人の和だった。和は人類に共通する教えで、日本人にとくにその想いが強いことを喜びたい。

49.
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夕焼けはわかるけど、小焼けって何だろう。

夕焼け小焼けで日が暮れて……
下校時刻になると校庭に流れてくるあのメロディは、ほのかな思い出がからんで、いくつになっても甘く切ない。

曲をつくったのは、信州松代町の出身である草川 信である。
ところで、夕焼けのあとにつづく小焼けって何だろう、と思う人は多いのではないか。

太陽が西の空に沈んでしばらくすると、沈んだ太陽に照らされて空がもう一度赤くなる。それが、小焼け。

人並み優れた美意識と観察力から生まれたものと、稲垣栄洋著 「赤とんぼはなぜ竿の先にとまるのか?」 にあった。

48.
うんともすんとも

なんか言ってよ。こっちもあとの予定があるんだから。

ずっと昔に 「ウンスンカルタ」 という札遊びがあった。
ポルトガルの船員が興じていたカードゲームを、元禄期の終わりごろに日本式にアレンジしたものである。

札にはとても豪華な彩色がほどこされていた。
それかあらぬか、幕府の奢侈禁止令によって一切の遊具が禁止され、いつのまにか消えていった。ところが、江戸からははるかに遠く離れた熊本の人吉球磨の地で、じつはひそかに生き残っていた。
「うん」 は数字の 「一」 、つまり始まりを表し、「すん」 は 「最高点」 を表した。

うん、は了解してうなずくことでもあり、うんもすんもないということは、イエスでもノーでもない、回答なしの、棚ざらしされたままの困った状態にある。
たとえて言えば、夫が妻にお小づかいの値上げを迫ったときなどによく起きる現象である。

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タテがよくて、ヨコがいけないなんて、意味わかんない。

果てしなくつづく地平線や水平線はヨコに広がる眺望で、眺めていて見あきることがない。

ところが、こうした自然界とは違って人間社会はタテ割りだから、まずいことはすべて 「ヨコ」 のせいにされ、筋違いとされてきた。

たとえば、横取り、横流し、横槍、横紙破り、横領 (おうりょう) 、横着 (おうちゃく) 、横柄 (おうへい) 、横暴 (おうぼう) 、専横 (せんおう) ……と、およそ、ろくなものがない。
いけないことはすべてそっちだと言わんばかり。

横恋慕、というのもある。
いささか非難めいた響きをもっているが、迷惑をかけず、遠くからひたすら恋しく想うだけなら、いっそ慎ましくていいじゃないかと、過去の淡い思い出から肯定なさる方もいらっしゃるのでは。

46.
銀ブラ

素敵なお相手とデートするとなれば、やっぱりここかなあ。

ふつう銀ブラといえば、ショーウインドウを眺めながら銀座をブラブラすることと思われがちだが、ブラの意味がちょっと違う。

もとは慶応義塾大学の学生が流行らせた言葉である。
始まりは、慶応のキャンパスから、明治44年にオープンした白亜の2階建て洋館 「銀座カフェーパウリスタ」 まで、わざわざ歩いてブラジルコーヒーを飲みに行くことを、こう言っていた。
つまり銀ブラとは、銀座のブラジルコーヒー、の略なのである。

コーヒーもおいしかったのだろう。そこにはいつも、そうそうたる文化人や作家、記者たち集まっていた。
学生たちにしてみればまさに憧れの文化サロンで、大人たちの会話に聞き耳を立て、みずからも友人たちと夢や理想を語りあうことに熱中した。

当時の若者の、コーヒー一杯分の背伸びがほほえましい。

45.
ハヤシライス

なんでハヤシなんだろう。それって、だれかの名前?

ファーストフード店が多くなって洋食屋さんが少なくなって、いまはどこに行けばハヤシライスを食べられるのだろう。
昭和のころには喫茶店や学生食堂のメニューにもあって、年配の方には懐かしいメニューの一つだ。

ただし、その由来には諸説ある。
牛肉を細かくして野菜と煮込む、西洋料理のハッシュドビーフが起源だとする説がある。
また、上野精養軒の料理長だった林さんという方が、まかないのご飯として出したのが始まりとも言われる。
さらに、丸善の創業者である早矢仕有的 (はやしゆうてき) さんが明治の初期に発明したともいう。
あとの2説は、いずれもお名前の 「ハヤシ」 が由来で、わかりやすい。

ちなみに、ドリアとナポリタンは横浜ニューグランドホテルで生まれたらしい。みんな、日本で生まれて広がった、ハイカラな洋食である。

44.
しがらみ

一人で好きに生きられれば、らくはらくだけれど。

だけど一人で生きられるわけもないから、人間関係はややこしい。
しがらみのない生活をしたければ、山奥の一軒家でも見つけて、ひっそり暮らすしかないのが世の中だろう。

ただ、「しがらみ」 の本来の意味は、かなり違う。本来は、竹や木を編んでつくる柵のことを指す。

近ごろはゲリラ豪雨や土砂崩れなど予期せぬ災害が多いが、代表的なものに、暴れ川などの水の流れを除けたり止めたりする水柵 (すいさく) がある。竹かごのなかにたくさんの大きな石を詰めて堤防を固めるものだが、これを、しがらみ、と呼んだ。

ほかにも、野次馬や通行人を防ぐ柵もあれば、戦のときには柵を並べて人馬の侵入を防いだりもした。

ちっとやそっとでは剥がせない、ずっとまとわりつく感覚を人の世の厄介なことに当てはめて、そう呼ぶようになった。
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43.
大八車

電動アシスト付きだったら、もっと早く普及したのに。

商品のキャッチコピーが、そのまま名前になった。つまり、大人8人分の働きをする車、である。
代八車とも書くが、この場合も、大人8人の代わりをする車と、至ってわかりやすい。

登場したのは、寛文年間 (1661-73) の江戸である。
明暦の大火のあとに非常時の家財持ち出し用として開発されたが、急坂が多いのと道の悪さが性能を上まわり、なかなか発達しなかった。その後、なんどか車輪に改良が加えられ、ようやく一人でも動かせるようになった。

ヨーロッパの交差点では、車が止まったら、頼みもせぬのに窓を拭きにくるのがいる。押しつけがましい商売だが、人の考えることは向こうもこっちもあまり変わらない。
名にしおう急坂の九段坂や中坂の下には、仕事にありつけず、せめて荷車の背を押して駄賃を稼ぐ者がいくらも待ち構えていたらしい。

42.
ランドセル

手をひかれて、校門の、満開の桜の木の下をくぐったっけ。

ランドセルと言えば、遠い日の、入学式のころを思い出すことだろう。

が、もともとは、そんな平和な光景のものではなかった。
起源は、徳川幕府が幕末になって洋式の軍隊制度を導入するさいに、携行品を入れるカバンとして兵隊に持たせた布製の背嚢にある。
オランダから輸入されたもので、RANSEL (ランセル) が訛って、ランドセルになったという。

日本で最初に使いはじめたのは、学習院の初等科である。
ここには当時の華族らの上流階級が多く通っていたから、従者に荷を持たせて登校する生徒が多かった。
ただ学習院では 「教育の場では平等」 を理念としており、こうした状況は好ましいことではなかった。そこで、馬車や人力車での通学を禁止したさいに、あわせて 「自力で通学できるカバンを」 と推奨して導入した。
1885 (明治18) 年のことだった。

いちばん最初のピッカピカの一年生から、135年もつづくロングセラーである。

41.
出刃包丁

つくった人が出っ歯だったからって、ひどい。

あの織田信長が、大坂・堺の鍛冶職人に命じて、たくさんの鉄砲をつくらせたのはよく知られている。
高度な技術を持つ堺の職人集団は、ほかにも刀や包丁などの鍛冶に秀でていた。和包丁の一つで、魚の首を落として三枚におろすための出刃包丁も、ここで生まれたものだ。

江戸期の文献 「堺鏡」 には、 「その鍛冶、出歯の口もとなる故、人呼んで出歯包丁と言えり」 とある。
発明者の着想と技能こそが褒められるべきなのに、たまたま人並み以上の出っ歯であったがために、そっちが名前になったから気の毒だ。

でも、よかった。
のちに 「歯」 は 「刃」 に変えられた。そりゃ、そうでしょ。

40.
ぽち袋

犬のごほうびじゃあるまいし、なんでポチなの?

紙に包んでささやかな気持ちを伝える習わしは、鎌倉時代からあった。

それがぽち袋に変わっていくのだが、京都の平安貴族の間で用いられていた風習が一般に広がり、のちに京都で芸妓や茶屋女などにほんのわずかな祝儀を与えるときの、小さなのし袋へとつながっていった。

語源は、なんてことはない。
少ないことを表す 「これっぽっち」 から来ている。

紙で包むと言えば、おはしを入れる箸袋も京都の平安貴族の風習で、室町時代に料亭で普及していった。お年玉も、金品を贈る言葉として用いられ始めるのが室町時代のことであった。

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39.
身も蓋もない

そうだけど、そう言っちゃ、おしまいでしょ。

「で、いくらなら売ってくれるんだ?」 などと、いきなり金額を切り出す人がいる。
話が早いとも言えるが、売る側にとってみれば、少々うんざりさせられるのが当然で、あの客は身も蓋もない、となる。

親子丼でも、ちょっと上等なお店に行くと、蓋付きの丼とか鉢で出てくる。この、下の半球体が「身」で、上にかぶせるのが「蓋」。身も蓋もないとは、この蓋が取れて、中身だけがむき出しになった状態のこと。
転じて、露骨すぎて、情味も含蓄もないことを言う。

さほど役に立っているとは言えない蓋だけれど、やっぱり箸をそろえ、きちんと閉じて、ごちそうさまでした、という佇まいがほしい。

38.
おシャカになる

お釈迦さまに例えるなんて、あんまりでしょ。

モノが壊れて使えなくなったり、クルマが大破して廃車になったり。
そんなろくでもないことにわざわざお釈迦さまの名を用いるなど、言われてみれば、もってのほかのことである。
なんで、そうなったのだろう。

本来は、陶磁器などをつくるさい、火加減を誤って失敗したときにそう言ったらしい。
ところが江戸っ子は、「ひ」 を 「し」 と発音するものだから、「火」 が強かったというべきを、「し」 が強かったと訛る。

しがつよか……が、お釈迦さまが誕生なされた灌仏会の日、「四月八日」 に聴こえたものだから、こんな不届き千万なことになった。
そう高名な国文学の先生が書いておられるのだが、さて、信心深き方々はそれで納得なさるどうか。

37.
たそがれ

刻々と暮れていく、あの切なさがいい。

夕暮れ時を、黄昏時という。
あたりがだんだんと薄暗くなって、人の顔の見分けがつきにくくなって近くの人に問うた、「誰ぞ彼?」 から来ている。
かわたれ、とも言う。こちらも、あの人は誰かと尋ねる 「彼は誰?」 から来ている。

人の一生を、たそがれに例える言い方がある。
日中の盛りが過ぎて、日の勢いが衰え始める頃であり、人生に例えればピークを過ぎた年代を 「たそがれる」 という。

しかしまあ、いまは人生100年時代である。 昔にくらべれば、黄昏時はとんでもなく長い。

36.
もなか

どこに行っても、スイーツ流行りの世の中なれど。

「もなか」 は、もち米でつくった皮のなかに餡を入れて、食べやすく工夫した和菓子である。

その名は、平安中期の才人で学者、歌人でもあった源 順 (みなもとのしたごう) が詠じた、次の歌から来ている。

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今宵ぞ秋のも中なりける」

中秋の名月をめでる八月十五日は、旧暦ではちょうど秋のまん中にあたる。その日に供された丸い餅菓子を、満月の夜にちなんで 「も中」 と称したものである。

世界の中心で愛をさけぶには、スイーツより、もなかがいい。

35.
線香花火

あ、もう終わっちゃった。もっとしたいよー。

線香花火は、指先でぶら下げて、ぱちぱち跳ねる火花をたのしむものだ。
ところが、生まれた当時は今とは逆で、下にではなく、上に向けて火花を出していたのだという。

1659年に大和国から江戸に出た弥兵衛 (初代 鍵屋) が葦の管のなかに火薬を入れて売り出したのが始まりで、そこから爆発的な人気を博していく。

当初は、香炉に管を立てて上から点火したもので、形が線香に似ていたから、そう呼ばれるようになった。
お線香の香りは仏さまへのご馳走であり、ゆっくり時間をかけて召し上がっていただけるようになっているが、こちらの線香花火はあっという間に終わる。

火花が散って、まん丸くなって、最後にぽとん!と落ちるはかなさがいい。

34.
油を売る

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あいつ、また油を売ってやがる。
じぶんの仕事なのに部下に丸投げしたり、なにかと言えば女性社員に話しかけてニヤニヤしていたり、ろくに仕事もしないで怠けてばかりいる人間をこう言って嫌う。

ただ、じっさいに彼は油を商いしているわけではない。

そもそもは、江戸期の髪油売りからはじまっている。
髷を結っていた時代の鬢付け油は、今でいう化粧品だから、どうしても市井の婦人たちと雑談をしながら商売をすることが多い。

これを汗をかいている者が横から見ればらくで、いい加減で、なんともうらやましい商売に映ってしまう。
半分はやっかみから来ているんだろうが、ろくすっぽ仕事もせずに怠けていることを、いつか 「油を売る」 と言うようになった。

33.
手の内を明かす

そんなことしたら損じゃない。負けるじゃない。

スポーツでもビジネスでも、相手と対峙したときに、できるだけこちらの意図をさぐられないようにするのは、誰しも思うところである。人によっては、恋愛だってそうかもしれない。

ただ、元の意味はもっと堂々としている。
弓の名人は、手のひらのマメを見ればわかる。つまり、手の内を見れば、その人の実力のほどがわかる、というのである。
戦わずして勝てるレベルにある。

手の内を見透かす、は相手の腕前や手並みを見切ること。
手の内に丸め込む、は相手の考えや器量を察知して味方につけること。

やっぱり、手の内を明かして、それでも勝てる人がいいよね。

32.
ありがとう

日本人が持ってる、いちばんうつくしい言葉だよね。

水だとか空気だとか、もっと言えばふだんの平穏な暮らしも、当たり前のようにそこにあると、そのありがたさに人はなかなか気づかない。
震災で多くの人が思い至ったように、失ってはじめてありがたさがわかることはたくさんある。

「無い」 があるから、「有る」 ことのありがたみがわかる。
有ること自体がむずかしい。なかなかしてもらえない。だから、言葉にすれば、有り難きこと。口にすれば、ありがとう、となる。すなおな感謝の気持ちが湧いてくる。

あらためてまわりを見渡してみれば、気づく。
家族の笑顔も含めて、私たちはいかに多くの有り難きことで満たされているのだろう。

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そんな言い方って、失礼だよねえ。

「うど」 はサラダや和え物にすると、香りがあって、春や初夏を感じさせるおいしい食べものだが、時期を過ぎると大きく育ってしまって、もう食べられなくなる。
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そんなことから、むやみに大きいばかりで役に立たないとか、大きいくせに強くないとか、あしざまに言われるようになった。うど自体はちっともわるくないのに、なんだか可哀想な言われ方ではある。

もともと山菜や野菜として愛でられる草なのだから、木として扱われるのも迷惑なことだろう。
うどのように色が白いとか、ふるさとの土の香りがするとか、もっとやさしい言い方を考えてあげればいいのに。

30.
裸一貫

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昔のお金で、まん中に穴の開いた一文銭がある。
これが千枚集まると一千文となり、まとめて紐とかに通したものを一貫と呼んで、重さを量る基準としていた。

一貫は、いまのメートル法に換算すると、3.75kgとなる。
いくら裸でも大人の体重としてはありえないが、生まれたばかりの赤ちゃんのものだと言えばおわかりになるだろう。
現代の赤ちゃんの出生体重はおよそ3kgとされるが、この言葉が生まれた当時は、一貫が平均的な体重であった。

だから、裸一貫とは何も身に着けていない、生まれたままの状態を言う。
そこから一代で財を成したとか、大出世を遂げたとかに用いられるが、何も所有していなくても、その身体だけで一千文の価値がある、との説もある。

自分こそが元手であり、むやみに人を頼るなという暗示にも受け取れる。

29.
足は「何文」?

靴は「文」、牛肉は「匁」、体重は「貫」だった。

そんなに昔のことではない。
みんなが使い慣れた尺貫法がまだ根強く残っていた昭和のころまで、靴や足袋を買うときは 「cm」 ではなく、 「文 (もん)」 で選んでいた。国際基準のメートル法を導入しようにも庶民の抵抗が激しく、政府が尺貫法の使用を禁止したほどだ。

覚えておられようか。その昔、巨体を誇った人気プロレスラー、ジャイアント馬場氏の得意技が 「16文キック」 だった。
1文がおよそ2.4cmだから、16文だと38.4cmもある。この足で容赦なく蹴られるのだから、痛いどころの話ではない。

じゃあ、なぜ文なのか。そもそも、文て何のことだろう。
じつはこれ、一文二文で取引された江戸時代の銭 「寛永通宝」 の幅から来ている。
さしづめジャイアント馬場さんの場合は、円いコインをタテに16個並べればぴったり合う計算である。まちがっても蹴られたくない大きさだ。

28.可もなく不可もなし

なんか、いやな言われ方だなあ。

よくもなく、わるくもない、なんて。

言うほうにとっては便利重宝な言葉なのだが、言われるほうにしてみれば、暗に、つまらないねえ、ほかにないの?と、ぐりぐりやられているようで落ち着かない。
むしろ、そうのたまう当のご本人の日常こそが問題で、ふだん大した仕事もしていない人から言われれば、心はいっそうさざ波だつ。

ただ、これはどっちも間違いで、孔子さまがおっしゃった本来の意味とはかなり違う。
正しくは、あらかじめこうしようと決めてかからないこと。結果のことを言うのではなく、決まった考えを持たず、いまだ可もなく不可もないところからはじめるという、フリーハンドの状態を指すのである。

可に持っていくか、不可で終わるかは、これからの努力しだい。

27.ポン酢

ふぐを食べたいが、ここは湯豆腐にしておくか。

肌寒い風が吹いてくると、もういけない。

ゆらゆら鍋の湯気がほしくなる。

で、登場するのが、橙やすだち、かぼす、などを使ってつくるポン酢しょうゆだ。
きわめて日本的なものながら、その名はどこか外国語のような響きを持っている。それもそのはず、そもそもは江戸期に入ってきたオランダ語のPONSが語源である。

ところで、パーティなどで供されるフルーツポンチの原型で、ワインやブランデーに果汁や砂糖を加えた飲み物がある。英国ではこれをパンチと呼び、オランダではポンスと呼ぶ。
これが転訛されて日本でポンズとなり、ポンズのズに 「酢」 を当てた。だから、ほんとうはズと濁らないのが正しい。

26.見当違い

見てる方向ではなく、手もとが違う。

以前に 「板につく」 でも取りあげた、おなじく摺り師から生まれた言葉である。

摺り師は、絵師が描いた画を、職人が彫った版木のうえで美しく摺りあげていく。
一枚の紙に色数の分だけ版木を取り替えて順に摺っていくわけだが、版木は湿度や乾燥の具合でおもいおもいに反ってくるから、木と紙の狂いを合わせるのが至難の技となる。

いくつ色を重ねても版がずれないように、いわゆる角に見当をつけ、ぴったり寸分違わずにもっていくのが名人の仕事だ。

あいつだけ、見てる方向が違う。どうも目的をわかってないな。
今ではそんな風にも使われる言葉だが、ほんとうは手もとの仕事がしっかりできているか、基礎となる技術と姿勢が問われた。

25.たちまち

あれ、月はもう、あんなところに。

もとの意味は、立ち待ち、である。

仲秋の名月である十五夜の翌々日、満月の右下がほんの少し欠けはじめた十七夜目に出る月を、立待月 (たちまちづき) という。

おなじ立待月でも、遅い刻限に出る冬や春のそれと違って、秋の立待月の登場時刻は早く、人を待たせない。

そろそろかなと思って外に出たら、あれれ、もう上にある。

いつもいつも遅れてやってくる友人と違って、こちらは待ちくたびれることがない。まいど聞き飽きた、言いわけもない。

心やさしい紳士の月なのである。

24.破竹の勢い

あんなに小さかった子が、もうこんなに。

竹と言えば、建築資材としての真竹(まだけ)と淡竹(はちく)しかなかったが、元文元年(1736年)にやわらかくて苦みのない、食べられる竹が入ってきた。孟宗竹(もうそうだけ)である。

まさか、竹を食べるなんて。最初はそう思ったろうが、食してみればこれが至極おいしい。
ただ残念なことに、「筍」を竹かんむりに旬と書くように、食せる時期が旬日、つまり十日ほどときわめて短い。破竹とは竹を割る意味だったが、あっという間に成長していくスピードを、この破竹に例えた。

孟宗竹は中国から薩摩に入り、海を通って伊豆へと渡り、江戸の薩摩藩屋敷でも栽培されるようになる。まもなく江戸市中で人気を博し、ある分限者のすすめによって目黒に広大な一面の竹林が造られることになった。そしてこれを地元の目黒不動尊の料理屋が売り出すや、口の奢った参詣客を中心に一気に評判になった。

まさに地域活性化の先駆けであるが、こちらも破竹の勢いであったらしい。

23.ハイカラ

ファッションですから、多少は我慢もしないと。

明治のやや後期に、洋行帰りの議員たち数名が、そろって襟の高いハイカラ―のワイシャツを着用して帰国した。
このとき、ある新聞記者が、かれらの西洋かぶれを揶揄して 「高襟党」 と名づけ、 「ハイカラア派」 と記事にしたのが始まりだったが、これが思いのほか受けて、たちまち政界や官吏たちに広まっていった。
ハイカラさんのデビューである。

あごが突き上げられて痛いだろうにとか、当初はいささかの皮肉が込められていたが、時代が下るにつれ、和と西洋がうまく混じりあった服装や暮らしを指すようになり、こんどはやや羨望も込めて、モダンでおしゃれに敏感な人たちを 「ハイカラな人」 と呼ぶようになった。

クールビズになって、ただネクタイを外しただけのだらしない服装をたまにお見かけするが、清潔なシャツを着て、時々はキュッとネクタイを結ぶと気が引き締まって、はたから見てもいいものだ。
人生をたのしむ気持ち、それがハイカラである。

22.銭湯

湯あがりに、星空を眺めて、父子で牛乳を飲んだっけ。

銭湯の名は、当初の湯銭が一文だったから、とされる。 のちには十文にまで上がり、次には六文に値下げされ、また八文へと、しばしば上下している。 江戸期の湯屋は入れ込み湯、つまり男女混浴がずっとつづいていた。 とかく風紀が乱れやすいと公儀はたびたび要らぬ介入をするのだが、湯船などを二つずつ用意するのは投資がかさむし、経営効率がわるい。 だから湯屋は、形ばかりの間仕切りをつくってしのいでいた。 なにより、お城の偉い人たちがさまざまに想像するほど、当のご本人たちは気にもかけていなかったのである。 ただし江戸の寛永期には、湯女 (ゆな) と呼ばれる遊女を置く銭湯が増え、吉原の客が激減したこともある。女性の数が極端に少ない初期の江戸の事情が生んだ、当時のスーパー銭湯だった。 それよりも、日本のどこかには、まだ、子が親の背を流す光景があるのだろうか。

21.老いらく

老いるのは、なんて、たのしい。

人はずっと、生まれ変わり死に変わりしながら、代々を紡いできた。 ただ、今の時代は10年先すらおぼろげで、後継者たる若者が減り、支給額が抑えられていく将来の年金を考えれば、かんたんに引退もできない。 ところが、である。うらやましいことに、この国にも、代替わりを待ち遠しいとする時代があったのである。 永く泰平の世がつづいた江戸期は、エアコンも温水トイレもなかったけれど、世の中のしくみが急変することはなく、若さが残る充分元気なうちに、安心して、息子の代へと家督を譲ることができた。 老いらくという言葉には、老いはたのしいよ、老いはらくだよ、早く来い来いと、その日を心待ちにする心情が込められている。

20.さばを読む

とりあえず、このへんのネダンで出しとこうよ。

見積り書を出すさいに、あらかじめ値切られてもいいように利益だけは確保しておく、というのはよくある手法。 相手もそのへんはしっかり読んでいる。 ただ、さばを読むことの本来の意味は、そうではない。 ここでの 「読む」 とは、 「数える」 ことなのである。 生き腐れとも言われ、魚のなかでも格段に傷みやすいさばをスピーディに流通させるには、あらゆることが時間勝負となる。 一匹一匹を正確にカウントしていたら、肝心のものが傷んでしまって売りものにならない。それよりも速さを優先し、目で数えて大体の数で取引したほうがいい。との考えから来た、とする説が有力だ。 こちらは、なにより品質を優先するための方策であり、互いの腹の底を読もうとするビジネスマンの 「さば」 とは、いささか心がけが違っている。

19.板につく

そうなるまでの努力が、じつはたいへんで。

絵師が描いた画を、職人が彫った版木のうえで美しく摺りあげるのが摺り師である。この摺り師からはじまった言葉は多い。 まずは 「板につく」 から。 摺り師はまず、版木にうすく糊を敷く。 刷毛で顔料を塗ってから和紙をのせ、バレンで摺るのだが、これがどうしてたいへんな力仕事で、左右の膝がしらの外側がきちんと畳に付くように、あぐらに座らなければならない。 この本式の座り方ができるようになれば、一人前。 いわゆる 「仕事が板に付いた」 状態となる。 もっとも、ここに至るまでには、修練に次ぐ修練が求められる。 上等のかまぼこだって、晴れて板につくまでは念入りな作業がかくれている。

18.おでん

庶民派なのに、ていねいに「お」が付けられている。

硬めの豆腐にみそを塗って、炉端でじっくり焼いたのが、田楽。 この豆腐はやがてこんにゃくに主役の座を奪われるが、そのおいしさが宮中にまで伝わって出世をした田楽は、いつしか「お」をつけて呼ばれるようになった。 「おでんがく」、さらに縮んで「おでん」となった。 今どきの、たっぷりのだしで煮込むのは、江戸近郊で濃口のしょうゆが造られるようになってからのこと。紀州から下総にしょう油づくりが伝わり、高価な上方産のしょう油に代わって、千葉の銚子や野田で地回りものが造られるようになった。これで、田楽焼きから鍋仕立てに移った。 続きがある。大正時代に関東大震災があり、東京が全滅した。 このとき、家を失った人や将来に不安を抱えた人が大勢、関西へと移り住んだ。また、東京の惨状を知ったたくさんの関西の料理人たちが、はるばる炊き出しに駆けつけた。鍋のなかに彼らの工夫がまじり、また地元へも持ち帰られた。 おでんと関東煮 (かんとだき) は、災害で助け合った人たちの、東西交流の味でもある。

17.おさい銭

神さまにお金を投げるって、失礼じゃないの?

初詣などで、神様に向かって遠慮なくお金を投げているけど、なんとなく失礼なことのようにも思える。 でも、それで正しい。 お金はもともと、人の身代わりになって一身に 「けがれ」 を引き受けてくれるものと考えられてきた。その、けがれたものを投げ捨てることで、本人が祓え清められ、きれいな心身で神の前に立つことができるのである。 ところで気になるのが、金額のこと。 お賽銭はあくまでお祓いのためであって、本来ご利益をあがなうものでないから、高額である必要はないのである。 いまや日本は高度成長でも何でもない。基本に立ち返って、ポケットの隅に残った小銭で勘弁していただく。 賛成の方は多かろう。

16.東海道

首都の西にあるのに、なんで東の海なの?

江戸期以前は、京こそが天子のおわす上の方で、大坂も含めて上方であったから、向こうから見ればあきらかに東の海道だった。 したがって江戸から京や大坂に向かうには、東海道を上り、帰りは下ることになった。 東京に遷都されてから、政府やJRは鉄道の上りと下りは入れ替えたものの、天下随一の街道の名はそのままにしてしまった。 ほんとうなら、西海道か西街道になっていたはず。 東海地方という言い方も、JR東海も、そのまんま 「東」。

15.指切り

って、子どもの遊びでしょ?

小さな指と指とをからませた、淡い思い出などでは断じてない。 こちらは吉原の遊女が上客の心を繋ぎとめるための、手練手管の一つ。 客に手伝わせて自分の指を切り落とし、その場で客に渡したと記録に残っている。 すでに亡くなった女郎の指を拝借したり、細工物の指で代用させることもあった。ほかには,自分の髪を切って渡し、いつも一緒だという「髪切り」 もあれば、熊野神社の護符の裏に想いをつづって血判を押す 「起請文」 もある。 向こうは指を切り落とすのだから、こっちだって針千本くらいは覚悟しなきゃならない。 それが嫌なら、その気になって与太話はせぬがいい。

14.かき入れ時

金、銀、銭を掻きあつめるのかな?

重さで交換する銀は日ごとレートが変わるから、銭との交換がわずらわしく、売るほうは釣銭を出すのを嫌う。 まとまったものを買うときは、客も銭を持ち歩くことになる。 一文の重さが一匁で、かりに五百文の払いとなれば、荒縄や細紐でしばった百文差しを五本も持ち歩くことになる。 五百匁は2kg弱である。重いし、かさばる。 こうした互いの利点から、日常の細々としたものをのぞいて商取引はほとんどが掛け売りであり、毎月末や盆と暮れなどの節季にまとめて支払った。 取りっぱぐれがないよう、番頭や手代は日がな一日、せっせと大福帳に書き込む。忙しい日は、まさに筆を手にした「書き入れ時」 となる。

13.銀行

なんで、銀なの?金じゃいけないの?

呉服や太物 (木綿) は、盆暮れなどの節季にまとめて払う掛売りが当たり前だったから、客はその利子まで上乗せされて払わされていた。 銀建てである上方 (京・大坂) に本家をもつ三井呉服店はここに目をつけ、江戸に進出するにあたり「現銀、掛け値なし」をキャッチフレーズに掲げて、大当たりをとった。 利子がのっていないぶん安い、というわけである。 「現銀」とすることで京の香りを漂わせつつ、高価な呉服を割安にして庶民に近づけた。まともな着物は買えなくても、端切れなら買えるから、女たちはこぞって駆けつけた。 金貨は小判一枚が一両だが、銀貨は重さによって価値が変わる。そこで、両替商の出番となる。 上方の両替商から発展した現在の銀行は、それゆえ「金行」ではなく「銀行」と呼ばれようになった。

12.どっこいしょ

声に出したからって、らくになれるわけじゃないのに。

富士山は古くから、庶民の熱い信仰の対象だった。 が、旅をすればお金もかかる。おまけに登山用具も天気予報もないから、命がけの参拝となる。 頂上の浅間神社まで登るあいだに、参拝者は口々に「六根清浄」と唱える。 この 「ろっこんしょうじょう」 が、いつのまにか「どっこいしょ」に転じたとされている。 現代の人もついつい口に出してしまうが、山道でもないのに、無意識のうちに六根清浄を唱えていることになる。 気づかぬうちに、心身のけがれを洗い流しているのである。

11.下馬評

はて、うちの殿さまは、どうなるんだろう?

江戸期には平均して、旗本が約5200人、御家人が1万7000人もいた。 これに対して、幕府が用意できる役職は1000ほどしかないから、同じ役を何人かでワーキングシェアしても、大量の組織内失業者が出る。 御役に就く、あるいは昇進することは、御家の最大関心事であった。 だから、あるとき老中奉書が届いて「あした、登城するように」とお達しが来ると、もういけない。屋敷中が大騒ぎとなる。 当日の待合所は、江戸城の下馬所。 ここで長時間待たされるから、屋台が出た時期もあるほどで、家臣や家僕たちは落ち着かず、人事予想や噂話に余念がない。 下馬所での人事評価、これが下馬評である。

10.木賃宿

木で宿賃を払うってこと?

江戸のころは、東海道を旅する者は宿場でしか泊れないことになっていた。 その宿場には、旅籠 (はたご) と木賃宿とがあった。 旅籠は一泊二食付きの今でいう旅館であり、庶民以外に武家も宿泊した。 一方の木賃宿は、旅人が食材を持ちこんで自炊をする。 ただし、薪代だけは払う。 つまり、木の賃だけは払う宿、なのである。 ここでは板張りの床で、みんなが雑魚寝した。

9.成金

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日露戦争に勝ったあと、戦勝気分による空前の投機ブームが起き、にわかに株で大もうけをした人間がたくさん現れた。 ただの「歩」がいきなり「金」に昇格する将棋の駒をもじり、皮肉まじりに彼らは「成り金」と呼ばれた。 カフェでお金をばらまいて、女給さんたちに奪い合いをさせてみたり、これみよがしにお札を燃やして明かりの代わりにしたという。 なんとも嫌ぁーな男たちである。 一方、紀文こと紀伊国屋文左衛門も、吉原で小判をまいている。 が、こちらは命を張った航海のすえに材木商として伸しあがり、より大きな仕事を請け負うための計算づくのPR戦術だったから、御大尽ともてはやされた。

8.ごまかす

なんで、ゴマなの?

もともと日本は、食用にできる油がきわめて少ない。 せいぜいが菜種油くらいしかなかった。 ごま油のほうがうまいとわかっているのだが、なにしろこっちは最高級品だから、なかなか手が出ない。 で、天ぷら屋は白い油を半分、あとはカヤやツバキなんかの油に一割か二割だけ、ごま油を入れる。 と、ごまの匂いがする。 ここから、「ごまかす」 という言葉が出た。

7.おやつ

3時でないと、食べちゃいけないの?

江戸時代の寺子屋は、始まりが、明け六つ半(午前7時ごろ)から五つの間(午前7時30分ごろ)で、終まいが、昼八つ(午後2時ごろ)と八つ半(午後3時ごろ)の間。 ざっくり言って、昼の八つ時分に引ける。 そこから歩いて子どもが帰宅するのが、ほぼ「お八つ」。 つまり 「三時のおやつ」 となった。

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吉原の遊女からいちばん嫌われた男たち。

江戸のころの紙は高価だったから、鼻紙や落とし紙などに再利用する「漉き返し」の技術が発達した。こうした工房が多くあったことで、浅草紙(あさくさがみ)の名がついた。 使い古した、いちばん安物の紙である。 紙屑を集め、細かく裁断し、煮てから漉きなおす。 が、煮たものを冷ますのにはずいぶんと時間がかかるから、金もないのに、ついつい近くの吉原のお女郎さんを拝みにいく。 むなしく帰るのなら行かなきゃよさそうなものだが、そこは男。ただ見るだけの客を、いつしか吉原では「冷やかし」と呼んで嫌った。

5.大根役者

役者が、なんで大根なの?

大根を食べて腹をくだす者は、まずいない。 つまり、当たらない。転じて、芝居で受けない、当たらない役者となる。 大根は白いから、しろうとの役者、との説もある。 ところで、家を新築するときに、棟上げとか建前と称する儀式をおこなうが、このとき天と地を鎮めるために弓矢や餅などとともに、大根を供える地域がある。 てんぷらを食するさいに胸焼けしないよう大根おろしが添えられているのはご存じのとおりだが、ここでは、胸ならぬ 「棟」 が焼けないためのお供えとなっている。

4.キセル

入口と出口にだけ、お金をかけるのが煙管(きせる)。

遠くへ行くのに、次の駅までの切符を買って乗車し、最後の短い区間の切符や定期券で下車して中間の金を浮かせるのが、キセル乗車。 いけないことだけど、昭和の学生はたいていお金がなかったから、心あたりのある人は、けっこういるはず。 で、本物の煙管はと見れば、やっぱり手もとの吸い口と、先っぽの火皿だけが金属。つまり、煙りの入口と出口にだけ金をかけて、途中は竹などで安くあげている場合が多い。 なるほど、本家もキセルしていましたか。

3.女は三尺さがって

ええっ、なんで女のほうが下がんなきゃいけないの?

武士というものは、めったに女性とは外出しないもの。 先祖の墓参りとかで仕方なくいっしょに出かけるときは、妻は風呂敷包みを抱え、夫の三尺後ろを歩く。 仲よく寄り添って歩いていて、万一、夫が襲われたら、互いにぶつかりあって身動きが取れないし、なにより夫が刀を抜けない。 三尺 (90.9cm) は、ふいに敵に襲われたとき、夫が反撃するための間合い。夫が生き残るための距離。 そして妻は、とっさに手のなかの風呂敷包みを相手に投げつけ、すこしでも夫が反撃できる時間を稼ぐのである。 だから、持ち歩く必要がないときも、わざわざなにかしらをくるんで出かけた。 武士の家は夫婦で守るもの、との考えからきたもので、女性蔑視からきた習わしではなかった。

2.道草

って、どんな葉っぱの草?

もともとは、道端の草のことを指す。 転じて、「寄り道」となったが、道草を食うなどといっても、なにも人間が道の草を食べるわけではない。 馬が道の草を喰って、ちっとも前に進んでくれないこと。 日は高いし、急ぐほどの用でもないから、馬子もまた、どっこいしょ、と煙草を一服。 道草は、馬にとってのランチタイム。 あるいは、ちょっとしたサボタージュ。 食べるふりしてさぼっているときもあるが、現代なら堂々と権利を主張できるきちんとした馬の食事時間、休憩時間なのである。

1.ありんす

ありんす言葉、って、なに弁?

吉原の遊女たちはみんな、家族が食いつなぐための犠牲となって、いろいろな地方から集められてきた女性たちである。 そのままの訛りでは、ときに客と同郷であることが知れ、下手に同情されても困るし、せっかく覚悟を決めた彼女たちに里心がついてもいけない。 わちきは、ありんす、ありんせん、おざんす、おざんした……。 「ありんす言葉」は、最盛期は三千人ともいわれた遊女たちの訛りを隠すために、吉原が独自の口調を編み出したものである。もちろん大枚を吐き出させるための、浮世とは隔絶した桃源郷としての演出もあった。 モテようと独身男をよそおって、あることないこと並べても、そこは「大かた、内にはおかみさんがござんせうね」と見透かされて終わり。 それは、今も昔も変わらない。

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